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2025/11/10

戦跡を巡る  第3回

みなさまこんにちは。本日のブログはサービステクニシャン相川から。

今回は

「戦災建造物 東大和市指定文化財 旧日立航空機立川工場変電所」に行って来ました。


場所は東京都東大和市桜が丘にある都立東大和南公園内にあります。

公園には無料駐車場もありますが、今回は電車でゆったりと読書しながら、スマホしながら、ウトウトしながら行ってきました。

立川駅から多摩都市モノレール線に乗り、玉川上水駅で降りてすぐです。
あまり乗ることのないモノレール  ヌメヌメとした乗り心地が新鮮でした。

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日立航空機立川工場では陸軍用航空機のエンジンの製造を行っていました。

太平洋戦争末期になると、軍需工場の集まる多摩地区は多くの空襲を受け、この工場も昭和20年に戦闘機や爆撃機による3回の空襲を受け従業員や動員された学生、周辺住民など、多くの尊い命が失われたそうです。

倒壊を免れた変電所は空襲で受けた傷跡を残したまま平成5年まで使用され続け、その後解体を免れ史跡として保存、公開されています。

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水曜日と日曜日に内部公開されていて説明員の方から説明を聞く事もできます。

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0.5インチ(12.7mm)の機銃弾は約20cmもある鉄筋コンクリートの壁を貫通しています。
建物内にいても貫通した弾や飛び散ったコンクリート片により安全ではなかったのではないでしょうか。

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工場への空襲の記録は、
昭和20年
2月17日 10時30分頃にグラマンF6FヘルキャットやカーチスSB2Cなど空母艦載機50機以上による爆撃と機銃掃射。
4月19日 10時頃P-51マスタング数機による機銃掃射。
4月24日 9時頃B29の101機編隊による1800発余りの爆弾投下

と、なっています。

横浜市のホームページの空襲の記録を見てみると
2月17日午前 艦載機320機が横浜、川崎などを銃爆撃
4月19日午前 硫黄島発進のP51、50機が南区、戸塚区を銃爆撃。
4月24日   B29、3機が横浜港を爆撃。(立川攻撃が目的)

と、なっていて横浜から多摩地区まで広範囲に及ぶ作戦だったようです。

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印象に残ったのは学徒勤労動員により工場に配属されていた中高生の方も被害にあったという記録でした。

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周囲は公園として整備されており、人々が楽しむ姿が傷だらけの建物と対象的で印象に残りました。
今年は戦後80年。
戦争とは、何を求め、何が起き、そして何を得て、何を失ったのか。知らなければならないこと、遺していかなければならないものがあると思いました。
まだ近い過去の出来事、皆様も触れてみてはいかがでしょうか。

y.aikawa フォアマン

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