2025/01/25
4WDラリーカーの先駆け
こんにちは!サービステクニシャンの庄司です。
引き続き、富士モータースポーツミュージアムで4月8日まで開催中のラリーカーの特別展示より。
今回は4WDラリーカーの先駆けともいえるアウディ・クワトロです。
1972年に北米で行われたとあるラリーで、歴戦の後輪駆動ラリーカーを退けてスポット参戦した地元のジープ・ワゴニアが優勝するという前代未聞の出来事が発生したおかげで、世界ラリー選手権(WRC)では四輪駆動車の参戦は禁止されていました。
70年代末に開発が始まったアウディ・クワトロをモータースポーツで使用することを考えたとき、さすがにサーキットでのレースに使用することは考えられず、ラリーでの使用が前提とされていました。
アウディとして世界自動車競技連盟(FISA)に対して四輪駆動車の参戦を解禁するように働きかけを行い、80年1月には正式に四輪駆動車によるWRC参戦が認められることになります。
市販車のアウディ・クワトロは80年3月にジュネーブショーで初公開されました。
当然、競技に参戦するためにはホモロゲーション(公認)を取得する必要がありましたが、クワトロは45名の工員により手作業で生産されていたため一日に3台を製造するのが限界であり、グループ4の『連続した12か月間に400台生産された車両』という規定をクリアするために懸命の作業が続けられ、673台を生産し81年1月に無事にホモロゲーションを取得しました。
量産モデルは2144ccの直列5気筒SOHC10バルブターボエンジンを搭載し、最高出力は200psを発生、5速マニュアルトランスミッションに前後にロック機構を持つディファレンシャルを備えた4WD機構を組み合わせていました。
しかしこの4WD機構にはセンターデフが装備されていないため、特にタイトコーナーでは強烈なアンダーステアが生じる要因となっていました。
ラリー仕様では360ps、420Nmを発生、デビューした81年はハンヌ・ミッコラが2勝、ミシェル・ムートンが1勝を挙げマニュファクチャラー選手権で5位に入り、グループB元年となる82年にはミシェル・ムートンが3勝、ハンヌ・ミッコラが2勝、スティグ・ブロンクビストが2勝を挙げ、アウディは初のマニュファクチャラータイトルを獲得しました。
83年は完全にグループBへと移行したため、