Staff Blog

2023/11/07

ワーゲンさんぽ#31


みなさま、こんにちは

今回のブログはワーゲンさんぽです!
備中高松城址資料館に取材してきました。

IMG_7028.JPG 479107652694835205.JPG

「本能寺の変」ご存じの方も多いと思います

1582年、早朝、 明智光秀 が 謀反 を起こし、

京都 本能寺に滞在する主君・織田信長を襲撃した事件です

その歴史的な「本能寺の変」の裏話が岡山の地にあったとしたら・・・?

興味深くないですか

その物語が北区高松にある備中高松城址資料館にあります

とても興味深く、歴史って楽しい!面白い!もっと知りたい!となりました

IMG_7038.JPG

旧資料館


「高松城水攻め」についてよくご存知な方も、よく知らないなぁーという方も

ぜひこのブログをご一読ください
あなたもきっとハマるはず



"天下布武"(織田信長が武力を以って天下を取る)の旗印を掲げて

全国制覇を進めていた織田信長は

中国地方の担当武将に羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)に命じた。

IMG_7008.JPG

その秀吉に立ちはだかったのが毛利氏です。

IMG_7010.JPG

毛利側の防衛ライン上にあった

宮路山城〈みやじやまじょう〉、冠山城〈かんむりやまじょう〉、加茂城〈かもじょう〉

日幡城〈ひばたじょう〉、松島城〈まつしまじょう〉、庭瀬城〈にわせじょう〉を

秀吉軍は次々と落としていったが、

本城の「高松城」だけはどうしても力攻めすることができませんでした。


そこで、黒田官兵衛の提案で「水攻め」に取り掛かりました。

つまり、川をせき止め、その水を敵の城・周囲に導入し孤立させる方法です。

IMG_7016.JPG


堤防を築き、足守川の水を引き入れ、高松城を湖の湖城にしたのです。

現在も堤防の址が残っています。

480072165145182535.JPG


毛利勢が手を出せないままでいる中、6月2日に本能寺の変で

織田信長が家臣 明智光秀の謀反により殺害されました。

3日、信長の死を知った秀吉はそのことを隠して高松藩主・清水宗治の切腹を主張して

講和を結ぶように説きました。

IMG_7021.JPG

そして、6月4日 清水宗治(当時:46歳)は

五千の城兵と毛利家を救うため、湖上に舟を浮かべて自刃し、

織田方と毛利方の和睦が成立しました。

これが、「高松城水攻め」です。


清水宗治の男気、かっこいいですよね
自らが盾となり、まさに命をかけて城兵たちを守り抜いていった勇姿が

今もなお語り継がれているそうです

480072472738136644.JPG

宗治の辞世句

ここで、この出来事についてもう少し深く掘り下げていきたいと思います

1.なぜ水攻めなのか?他にも考えた策略があったのか?
→「兵糧攻め(食料の供給をストップ、敵の戦闘力を弱らせること)」も

考えたとも言われています。

実際に、三木城、鳥取城を兵糧攻めにしています。
しかし、備中高松城はもともと沼地であることと、

雨季で大雨が降ったことにより成功したと考えられます。


ちなみに、日本三大水攻め「備中高松城」「紀州大田城」「武蔵忍城」が

のぼうの城という歴史小説が映画化されています


2.わずか12日で約2.7km、高さ約7mの堤防を築けるのか?
現在、蛙ヶ鼻付近の発掘調査では、唯一、

杭の列や土俵積みの痕跡が確認されているそうです。

480072268811600308.JPG


3.どんどん孤城となっていく高松城
その時の気持ちってどうだったんだろう...
→不安や恐怖が城兵たちにもあったはずです。

そんな時、清水宗治は励ますために渡り歩いたそうです。優しい

IMG_7013.JPG IMG_7014.JPG


4.なぜ備中高松城跡(公園)にある蓮の花があるの?
→この沼地を復元したら蓮が生えてきたそうです。

400年もの間、静かに土の中に眠っていた蓮の花が咲き、当時の景色が蘇るなんて素敵ですよね。
この蓮を「宗治蓮」と呼びます。

480072385362657674.JPG IHKI4290.JPG

蓮の見頃の6月から7月にはきれいな蓮を見られますよ

まだまだ知られざる謎を伺いました

Q.なぜ宗治氏は自刃したのか?それしか手段はなかったのか?

Q.6月2日京都で起こった「本能寺の変」
このとき、織田信長は明智光秀に討たれた。
その情報はどうやって秀吉に伝わったのか?

Q.秀吉は信長の死を知っていたのか?


載せきれない楽しくて興味深い情報をたくさん教えてくださいました

気になる方はぜひ、高松城址資料館を訪問してみてください

お問い合わせは086-287-5554 (浅野様)

IMG_7011.JPG

長谷井 早紀 業務スタッフ

プロフィール →